グレンニア共和国歴史
発見と設立:1805年-1868年
島。遠くから見える島。
英国より入植者が古の航海望遠鏡に映している島。長い旅の終わりだと艦長以外がそう思っているのだろう。
だがしかし、英国の国王陛下の依頼は新たな入植地だが、この島ではなかった。
艦長の指示を無視して、島に向かっている。
現在の状況は艦長の指示を従っている人が手の指で数える人数らしい。その後、艦長が行方不明になった。
島に陸上瞬間に、無人島だと分かっていて、自分たちの物にし、名まで付けた。
その日から、我が国、「グレンニア共和国」が誕生した。
分断されたグレンニア、第一次世界大戦と第二次世界大戦:
1868年-1945年
グレンニア共和国は文明の急速な発達時代が西暦1868年まで進んでいた。
日本、グレンニア共和国に一番近い国に大変大きな変化が起きてしまった。明治維新。
力を持たないはずの天皇が日本全国を統一していく。力を求める新日本、周りの国を支配して、新時代へと導く。
だが、アメリカや英国は日本の無礼な真似を見逃せない。グレンニア共和国を持っている国が、
アジアパシフィックの戦場で間違いなく戦争優位性を持っている。
が、戦争を起こさないまま、平和的に新たな協定を果たした。グレンニア共和国の地域が三つに大きく分かれて、日本、英国、
アメリカがそれぞれの地域を支配することになった。日本はゲッコウガ市をもっていて、
英国はゲコガシラ市をもっていて、アメリカはケロマツ市とサトゲコ市をもっている。その協定は「日英同盟」
と言うものであった。だが、この協定は永遠に続かなかった。
1930年に、それぞれの地域の主の国家がだんだん変わっていく。結束主義の影響が広がっている。新たな戦争が見える英国は、
パシフィック戦場の力を持つため、米国と日本が持っている地域を併合しようと企んでいる。意外と米国は自分の住んでいる地域を英国に譲ったが、日本が拒否した。日本は第一次世界大戦で同盟国の一つだった。がパシフィック戦場に大きな変更がある日本が同盟を裏切った。
1940年六月、第二次世界大戦、ヨーロッパで手一杯戦った英国の間、日本はいきなりグレンニアの英国の地域を支配した。日本が併合した他の地域のように、グレンニアとその国民にも残酷な実験などを行った。
第二次世界大戦が終わった際、グレンニアは全体地域を英国に戻した。グレンニアも「東アジアの奇跡」の影響もあって、日本のように、国経済が急速に上昇した。
イギリス領グレンニア:1945年-2005年
1960年にグレンニア独立の国民の投票が行われた。だが、自立失敗。
ソビエト連邦が滅びた後、英国はグレンニアにある英軍を減らし初めて、1990年に全英軍の軍人、基地、道具などを英国に取り戻した。
グレンニアの国経済急速上昇が落ち着いてきたので、もう一度独立の国民の投票を行う。結果、独立成功。
1995年2月28日に独立日が定めて、2005年5月6日に完全に独立の国になりました。
グレンニア独立の後に:2005年-現在
グレンニアが独立されたの後に、国経済は好況を経験した。しかし、2011年3月11日に、大地震と津波が起こりました。
その津波は大破した。でも、国は早く立ち上がった。残りの2010年代には、あまり起こらない。
2020年2月に、新型コロナウイルス(COVID-19)の最初の症例でグレンニアを見つかった。全部の家は封鎖した。
パンデミックの後に、グレンニア共和国は強力で盛んな国をなった。
英日翻訳:Discord @momoirogakarisan